前期が終わります。係や班も変わります。そんな中、生徒会選挙も行われます。
私は昭和55年度前期西可児中学校生徒会長でした。
振り返ってみると長い人生の中の最初の大きな転機がこの「生徒会選挙」だったと思います。
「転機」で考えると、結婚、子供が出来た、も含めて、この中学での経験はトップ5に入っています。
・中2までは、それほど目立たない子供でした。
・そんな私がなぜ、「立候補しよう」という気になったのか。
・いくつか理由がありますが、とにかく最終的には自分で「立候補する」と決めました。しかも、生徒会長に。
・会長立候補者は2人で、まさに選挙戦でした。
・当時はポスターを作ったりもしていました。今でもクラスの子が作ってくれた2枚は鮮明に覚えています。
・立ち合い演説会で話した中身も、応援演説してくれた子の顔も覚えています。
・「当選した」と聞いた瞬間の教室のシーンも覚えています。
・そして、生徒会長になってからは、劇的に生活が変わりました。
・委員長は執行部が決めました。全校の前で喋る場(生徒集会)も月に1回ありました。休日、知らない年下から「会長」と声を掛けられたことも何度かありました。
・生徒会室が昼休みのたまり場でした。
◆「立場が人をつくる」「環境が人をつくる」という言葉がありますが、まさにその通りでした。
◆あの時がなかったら、今の私の性格は微妙に違っていたと思います。先生になっていたかも分かりません。
■ということで、私は生徒会や、生徒会室にかなりの思い入れがあります。立候補している子達に心からのエールを送ります。
もちろん生徒会執行部だけではなく、どんな係・役割への「立候補」も同じです。